自己売買部門はなぜなくっていくのか!

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自己売買部門はなぜなくっていくのか!

もう10年くらい前から、大手D証券をはじめ、私がいた銀行系M証券、中堅ではO証券など次々に自己売買部門が閉鎖になっています。その理由を説明します。

結論

  • 以前ほど儲からなくなってしまった
  • 金融機関が自己勘定で大きなリスクを取ることに否定的な風潮ができた

自己売買部門が良かったとき

大手証券のロング・ショート

大手証券の自己売買部門で有名だったのはD証券です。定性トレーダー型のロング・ショート、クオンツ型のロングショートどちらも儲かっており、私の同僚にもD証券からの転職組がたくさんいました。

特にクオンツファンドはトレードAPIを使った自動売買をいち早く取り入れており、その先行者利益もあり、かなり儲かったようです。東証のシステムがまだ高速でなかった事もあり、そのメリットがかなり大きかったよう。

また以前は今ほどパッシブ投資の比率が高くなく、大手アセットマネジメントによるアクティブファンドは、投資の意思決定に時間がかかるなど、トレーダーの個人の裁量で迅速に売買ができる自己売買部門は有利な状況でした。

中小証券を中心としたデイトレード

東証のシステムが高速化する以前では、かなりの勝率を誇るデイトレーダーが存在していました。私がいた銀行系証券にも生え抜きのデイトレーダーが3人いてすごい勝率で儲けていました。

また私が中堅証券の自己売買部門にいた時に聞いた話なのですが、「ネットバブルの2000年近辺、年収が20億にもなる強者もいた」とのこと。その頃はファンドマネージャーによる馴れ合い売買も普通に行われており、自己売買トレーダーにかなり良い時代だったらしいです。

ちなみにその頃、私は保険会社のサラリーマンでした。

デイトレーダーを駆逐した東証の高速売買システム ARROWHEAD

2010年から、東証の新株式売買システム「arrowhead」の稼働が始まりました。このシステムによる高速化はすさまじく、板画面が更新するより前に、約定が成立してしまうのです。

板画面の動きを見ながら勝率の高いトレードをしていたデイトレーダーにとってそれは死活問題です。トレードしようとしたら、自分の見ている板情報は古くなってるし、コロケーションによるハイ・フリクエンシー・トレードは自分より先に執行してしまうのですから。

大手証券のロング・ショート戦略にも影

これはデイトレーダーだけでなく、大手証券のロング・ショートトレーダーにも、取引コストの増大をもたらしました、オファーやビットが逃げていく!

バスケットトレードでも、輪切りの注文はハイフリのトレードシステムによって高速に分析されやすくなります、コストは上がっていきましたし、コロケーションを使わないトレードAPIでの自動売買も有効性はなくなっていったのです。

ボルカールール

ボルカールールは、金融機関の市場取引規制ルールで、ブプライム危機の際に自己勘定で大きなリスクをとっていた金融機関のありかたを問題にしたものです。

私が所属していた銀行系証券は米国資本が入っており、ボルカールールの影響で2015年3月を持って廃部になってしまいました。

その後も続けている証券会社は外国資本が入っていない、国内系の証券会社だけになってしましました。

アクティブファンドを駆逐したパッシブ投資が追い打ち

2015年近辺から加速した日銀ETFとそれに連動したGPIFによる指数型のETF買い。

業績に関係なく兆円単位で輪切りに銘柄を買っていくその方法は、銘柄分析によって将来の業績のふるい分けと行い買い銘柄・売り銘柄を決めていくロング・ショートの投資手法にとって逆風そのものです。

それまでは二桁リターンも珍しくなかったロング・ショートのリターンは一桁%に変わっていき、過去に比べて儲からなくなった自己売買部門は自然に閉鎖して行くことになりました。

その一方で、指数を単にロングにするだけで、二桁リターンが獲得できる世界。投資手法としてのロング・ショートの魅力も低下しました。

最近でも、この流れで閉鎖したヘッジファンドや、ヘッジファンドの中でも解雇になったトレーダーは続出、当然、現在でもロング・ショートプレーヤー中心の自己売買部門は苦しい状況になっています。

まとめ

自己売買部門が少なくなっていったのは、システムの高速化やパッシブ投資の流れに従って、純粋に昔ほどの高リターンが得られなくなった、サブプライム危機を発端に金融機関が自己勘定で大きなリスクをとらなくなっていった事が主な原因です。

日銀の指数型ETFの大量購入は、割高さや割安さを基準に売買するプレーヤーにとっては大きな逆風になり、投資ファンド全体のトレンドまでも変えてしまいました。