僕のクオンツ大先生
実は自分のことをクオンツというのは抵抗がある、もっとアカデミックな仕事をしている人達が沢山いると思っているし、そんな人達は運用実務型の自分を快く思わないかもしれないからだ。
ギリ自分の事をクオンツと言えるのは、山一證券の時にクオンツアナリストをしていたから、そこで徹底的に自分を鍛えてくれたのが兼広さんという大先生だ。
大先生との出会いと異動
為替ディーラーから金融法人企画部
山一證券の投資開発部というクオンツ部署にいたものの、肌があわず、部長に言って為替のディーリングルームに異動させてもらい、為替ディーラーをやっていた自分。
通貨オプションのポートフォリオで稼ぐスタイルだった。
山一英国銀行に異動の希望をだしており、課長から異動って伝えられたときは、「今度はロンドン!」と思って喜びそうになったが、告げられたのは金融法人企画部、なんじゃそりゃって感じだった
金融法人企画部にいた大先生
金融法人一部の隣にあったのが、金融法人企画部、周りはなぜか偉い人達ばっかり。さっぱり意味がわからなかったが、自分の席の近くにその大先生はいたのだった。
大先生はクオンツの大御所で、机の周りを取り囲むように本が積み重ねられていた。異動後も相場が気になりすぎていたら最初は大先生にとても嫌われた。
「おまえほんとに失礼なやつだな」って言われたりとか、部長に大先生が「こんなの連れてきやがって」とか文句を言ってたりしたわけだ。
その頃は、ディーリングルームで意地悪な先輩に怒鳴られたりした経験もあったりして、自分もあつかましくなっており、気を取り直してクオンツを真剣にやるしかないと覚悟を決めたのであった。
大先生の弟子に
大先生の机を囲む本の壁から、本や論文を紹介してもらい真剣に読みあさった。ほとんど英語で書かれたものだったが、読むとわかりやすい英語で、クオリティーの高いものが厳選されていて、途中から知的な刺激が心地よくなっていった。
大先生に、このあたりがとても役立ったとか、ここが良くわからないみたいな感想を述べると、大先生は嬉しそうに更に大量の英語の資料を差し出してくれた。
量が多すぎて、休日も家で良く論文を読んでいた。大先生に感想を言うのがわりと楽しみだったので、仕事っていう感覚はあまりなかったかもしれない。
大先生と一緒にクオンツ部署に異動
1ヶ月くらいして大先生と一緒に、以前いた投資開発部というクオンツ部署に異動になった。部署の上層部がごそっと入れ替わる人事だった。解説はここまで、会社っていろいろあります。
一新されるクオンツ部署
結局、大先生が部署のブレイン的存在になり、今では経済評論家として多くの本を執筆されている山崎元さんもメリルリンチ社から転職してこられた。山崎 元さんは大先生の生保時代の後輩で、更にクオンツとして著名人だった。
山崎元さんという強力クオンツ
元さんは部署の看板的な存在であり、移籍後、機関投資家向けに投資提案を量産していった。その際にバーラによるシミュレーション作業の手伝いをさせてもらった。
元さんはBarraの専門家だったので、仕事を通じて、いろいろなことを吸収させてもらう事ができた。
バーラを使ったポートフォリオ構築とシミュレーション、パフォーマンス分析などを実戦で覚えていった。その頃はまだバーラをきちんと理解・使える人があまりいなかったので、自分の市場価値もあがった気がしたものだ。
超マニアなクオンツおじさん
大先生の知り合いでUnix Workstation環境でC言語でマニアックな開発をする人も投信会社から異動したきた。
その人は強烈なマニアで、家に帰らずにずっと会社の個室でプログラムを書いているような感じ、博士って雰囲気だった。
今から考えると「C言語でプログラムをあんなに書かなくても、SASとかで計算できたのでは?」と思ったりする、家に帰らないほどの時間がなぜ必要だったのか謎の部分が多い。
ハードル高かったC言語とUnixWorkStation
高性能Unix Workstationは1億円くらい
マニアックおじさんしか使ってなかった高性能マシン、大先生は「これだけすごいインフラなんだから、ヤスマサも使ってみろ!当然できるよなっ」て感じ。
大先生は簡単にいうけど、実際はかなりのハードルだった、山一コンピュータセンターで2年くらいSEをやった経験がが少しだけ心の支えだったくらい。その時に習得しようとしたのは
- Unix Workstationの基本コマンド
Send ScreeenとかRemote Loginとか、X WindowとかTelnetとか - シェルスクリプトと、Sed、Grep、Perl、Awkといったツール
- マニアックエディタ Vi
- データベース(Sybase)を使うSQL言語と会社にあるテーブルの理解
- C言語
- Unix版のS-Plus
休日も会社でプログラム書いたりして、全部が大変すぎて泣きそうだった。エディタのViまでかなりマニアックなしろもの、プログラム書くだけなのになんで、エディタのコマンドまで覚えなきゃいけないの?って感じ。
マニアックおじさんは自分のことしか関心がなくて教えてもらえないし、部署に一人C言語の専門家の先輩がいたのでそれが支え。
一ヶ月くらい集中したらなんとか
C言語の先輩のおかげで、一ヶ月くらい集中的にやった結果、データベースを使ったデイリーベースのシミュレーションがC言語で、できるようになっていった。
これだけ短期間で、様々なシステムを覚えたのは初めて、やればある程度できるんだなって感じ。
結果、部署の中でのプレゼンスは上がったし、評価もだいぶ上がった。自信もついた。
アナリストとして少しずつデビュー
クオンツアナリスト
山崎さんのプレゼンを何度も見ていて、自分でもそういうふうになりたいと思った。
なので部長に言って、企画・計算そして機関投資家へのプレゼンも行うというふうに変えてもらった。
要はクオンツアナリスト、もちろん最初は慣れなかったものの、地道にやってだんだん評価してもらえるようになって、それなりに順調だったし、ゆくゆくはアナリストランキングで1位をとろうと思っていた。
自己売買ポジション
お客さんへのポートフォリオ提案は、もちろん本当に儲かる提案だと思っていたので、自己売買で実績を上げて説得力をつけようという流れになり、ポジションを持てることになった。
そういうわけで、準備をしていった。大先生に教わった論文にあった「スペシフィックリターンリバーサル」という戦略が目玉で、大先生も自分もそれなりに楽しみにしていたのだが・・
あえなく
廃業となった山一證券、自分は損保会社、大先生は信託銀行に転職されていった。その後、数回は会ったのだけど、クオンツトレーダーになった後は会っていない。
まとめ
- 大先生のおかげでクオンツになれた
- 大先生は素晴らしいインフラを用意してくれた
- C言語、Barra、S-Plus、Unix Workstation 学習できた
- 大先生はちょっと無茶いうこともあったが、より鍛えられた
- 一緒にいた3年弱はおかげでかなり濃いものだった
という感じでです。感謝しています。